憧れの北鎌へ

平成15年9月13日 2時30分起床。(大天井ヒュッテ)
3時出発の予定で昨日は早々に寝たが、何度も目が覚め余り眠れなっかった。
この北鎌に向け、ルート調べは勿論、持ち物、トレーニングと色々準備をしてきた。
万全の体制で望みたいと考えていたが、台風14号が接近している。
天気予報では、午前中晴れ、午後曇りとのこと。あと10時間くらいは天気はもつと思われた。
その間、行ける所まで行って…ビバーク?…。大槍では台風一過の晴天を期待したいと思った。

3時30分出発。昨日、同じく北鎌を目指すと話していたガイド付きのパーティは起きてくる気配もない。天候の悪化は必至なので様子を見るのだろうか?
外に出ると、月明かりでライトを付けなくても歩けるくらいだった。
空では雲の動きがとても速く、ホッとしたのもつかの間、またたく間に月を隠してしまった。
かろうじて雨は落ちない。
ヘッドランプの明かりを頼りに西さんの後を歩いてゆく。右手にある貧乏沢の入り口を見逃さない様に注意して歩くこと20分。そろそろだと思っていると、"貧乏沢入口"の板切れがあった。
さあこれからは一般道ではないんだと思いながら入っていく。

細い木に捕まりながら急な踏み跡を下りていく。すぐにガレ場に出る。丸い大きな石の急なガレ場がずっと下の方まで続いているのが見える。斜め下に横切り、ガレ場の右端に出るが、その先に踏み跡は見えなかった。さらに斜めに下りながら左端に寄る。落石が2つ、火花を散らしながら落ちていく。
藪の中に踏み跡らしきものがあり、また細い木に捕まりながら下りていく。
ヘッドランプの明かりに虫がたくさん寄ってきて、口を開けたら大変な事になりそう…。
ガイドブックに貧乏沢はリラックスして下りる事と書いてあった。「リラックス、リラックス…」と思いながらどんどん下りていく。
貧乏沢に入って1時間くらい経っただろうか、滝の左側を下る。少し明るくなってきた。あちこちに踏み跡らしきものが見える。
落石の心配が少なそうな所で休む事にする。後にも先にも誰もいない。休んでいる内に急に明るくなり、ヘッドランプは用済みになる…なんだか元気が出てきた。暗い中での急下降はやっぱり疲れる。
その後は、沢の岩の上を歩いたり、藪の中を歩いたり、どっちも歩きにくいねと話しながら下っていく。
いつしか少しだけ緩やかになっていた。ところどころ石が積んであって、ここでいいんだねと少しホッとする。それでも木に捕まりながら斜面を登ったり、トラバースしたり、藪の中を歩いたり…。
突然、左手からの流れに出会う。貧乏沢に入って約2時間、天上沢合流点だった。予定通りだったが、自分のイメージしていた広い河原と違ったので、ここはどこ?って感じだった。
地図を見て確認し天上沢をさかのぼる。15分ほど歩くとケルンの積まれた北鎌沢の出合に着くはず…、
溯っていくとあちこちにテン場跡が確認でき、たき火の跡もみられる。河原の幅は随分と広くなって、右にカーブしている…、「ここが北鎌沢出合だ」と、西さんが言う。

これからの北鎌沢の登りに向け腹ごしらえをする。西さんは弁当を食べる。私は食欲が無かったのでクリームパンをかじってみたが半分しか食べられなかった。なんとかカロリーを摂らなきゃ…、羊羹とプルーンは食べる事ができた。
7時15分、西さんの後につき北鎌沢を登り始める。急な登りだが、ゆっくりゆっくり歩くと全然辛くない。稜線では灰色の雲がどんどん流れて風雨がうかがえるが、ここは風の影響もなく薄日もさし快適。
横に目をやると、トリカブトが咲き乱れていた。
やがて二俣で、右俣を相変わらずゆっくりと登っていく…。
水量は益々細くなり「もうここで終わりかな…」と、西さんが水を汲んでくれる。とても美味しい水だった。遙か下に先ほど休んだ北鎌沢出合が見える。いつの間にか随分登ってきたんだ。時に大きな岩があり少しだけ苦戦するがまだまだ元気…。
上に北鎌沢のコルが見えてくる。足下は草付きの急斜面に変わってきた。時計を見ると9時、あと15分も登ると、コルに着きそう…。予定通りだ、順調だ、と思いながら、「見えていながらなかなか着かない北鎌沢のコル…」というのを何処かのホームページで見た様な気がする。
傾斜は益々急になる。西さんが、「このままこの草付きを登るんだろうか…右の方の灌木の所を登るんじゃないのかな…」と言う。でも、右へのトラバースは大変そうで、西さんは左にトラバースし始める。
西さんは、私の為に足場を作る様にしながらトラバースしていく。両手で草に捕まり、抜けない事を確認しながら、草藪の中を進んでいく。今思い起こしても、この山行で一番いやなトラバースだった。
やっと左の灌木の中のなんとか安定して立てる所に着く。しかし着いてみるとここから稜線に向かって登る事はとても出来そうになかった。「ダメだ、やっぱり右の灌木の所に戻ろう…」と西さん。
(後で考えると、一番低い所/右側に到達するのが早道なので、左にトラバースするのは間違いだと思えるが、今にも滑り落ちそうな斜面で考えが及ばず、話し合う事も出来なかったのが反省点。)
緊張で口がカラカラになる。あちこちにブルーベリーが熟している…。いままでおなかを壊すといけないと、食べるのを我慢していたが、ここにきてパクパク食べる。ほとんどヤケクソ!甘酸っぱくて美味しかった。いくつもほおばって種をプップップと出すと少しリラックスできる。
またまた慎重にトラバースし、やっと右の灌木の中にだどり着く。そこからは細い灌木に捕まりながら登り、やっと北鎌沢のコルに着く。10時だった。1時間近くウロウロしていたらしい。
ホーッとして休憩をする。やっと半分の行程、10時までにここに着けばなんとかなるかな…、と考えていたタイムリミット。

さあやっと北鎌のはじまり、はじまりと自分を元気づける。
尾根に出ると危なげな草付きスラブやハイマツ帯の急登が続き、ピークを二つ越して2700mの"天狗の腰掛け"らしいが、ほとんど記憶にない。すこし覚えているのは踏み跡があちこちにあり、千丈沢に下りていく踏み跡は要注意。落石の巣のようになっていき、これはヤバイよと稜線に登り返すがドドッドと落石してしまう。ここでは冷静な自分を意識することができていた。
どのくらい歩いただろう、独標のコルが見えてきた。
へエー、標識があるんだ!と思ったが、来てみるとただの石だった。独標はガスの中で確認できない。さあ、これからは…、とガイドブックの文章を思い起こす。「独標の根っこを巻く様に水平バンドを進むと、残置ロープの下がるチムニーがあって…。」
しばらく歩き、張り出した岩の下を腹這いになって抜ける。どの位歩いただろう、結局チムニーはわからず行き詰まってしまう。行き詰まった所でなんとか登れないかと試みるが、少し登ると手がかりが無くなって無理の様。引き返す事にする。
時々ガスが薄れ、独標の頂がうかがえる。もっと上の方に例のチムニーはあるのだろうか?
引き返しながら、「ここは登れない?」と西さんが言う。試みるがチョット無理と降りようとした時、足場が崩れて40cm程ずり落ちる。ほんの少しなのに精神的ショックをうける。
その後もう1回スリップ、気を引き締めなくては…、と思いながらも気持ちは重い。
なんとか登れそうな所はないかと見ながら引き返して行く。所々ハーケンの打たれた箇所がある。
「ここはどう?」西さんが声を掛ける。うん、なんとかなるかも…。わずかな足場に西さんが足を支えてくれなんとか登った。その後は難なく登ってピークに着いたが、はたしてどこのピークだか???
ガスの間に独標のピークをかいま見てから随分と時間が経っている。
よく判らないまでも次のピークを目指さなければ!…急下降、トラバース、登攀…、稜線に出ると踏み跡が左右に延びている。エッ、右に行くの?ガスの中で方向が分からなくなった。西さんが方位を確かめる。「左が南だから、槍は左だ!」

風は益々強くなってきた!! 時折突風があり、岩に押しつけられそうになる。姿勢を低くし踏ん張りながら歩く。痩せ尾根では、風の様子を見ながら、強風がやんだスキに通過する。高度が上がるにつれ風はもっとひどくなるはず…。この強風のなかで大槍に立つのは無理だ…と思う。
大小のピークを幾度かアップダウンし、トラバースもする。巻き道はザレた箇所が多く、足を踏み出すごとにザザザッーツと崩れる。なんともいやな感じだ。
小さなケルンを通過してしばらく経った時、「あのケルンの所を登って北鎌平に出るんじゃないかな」と
西さんが言う。なにげなくケルンがあるが、そこを登れという目印だとか…。そこでまた引き返して、先ほどのケルンに戻る。うん、登ってみよう。登ってみると、北鎌平ではなく、また巻き道が…。赤ペンキの○が付いていたりする。とりあえず巻き道を行く事に…。途中とってもやばいザレ場があるがなんとか通過…。巻き道はその後もずっと続いている。巻き道のすぐ横や上部には小さな岩穴が2,3個ある。ビバークできそう…?と思いながら歩く。相変わらずガスに巻かれているが、ほんの一瞬ガスの切れ間から小槍のようなピークが見える。 この巻き道、大丈夫なのかな?…。
また西さんが、「さっきケルンがあったよね、あそこも直上するんじゃないかな」と言う。私にはそのケルンの場所がよく分からない。
西さんは、引き返し始める。仕方なく付いていくが、やばいザレ場で西さん苦戦、私は行きたくないよ…。立ち止まって西さんを見ている。
時計を見ると、4時前。どこかビバークに適した場所を見つけないと…、と思う。10m程先にいる西さんに声を掛けるが、なかなか届かない。歩くのをやめてじっとしていると体温がどんどん奪われる。
西さんは苦戦しながら私の所に戻ってきた。ビバークの話をする。
さっき見た岩穴は?…見に行く事にする。どれも狭く傾いていて快適ではなさそうだけど…、少しは風を遮ってくれるのでは…。それとも、もう少し行ってみようか…、ひとつの岩角を越してみるとそこはものすごい強風で、それより先に行く気が失せてしまった。
あの岩穴でいいんじゃない?…西さんは不満そうだったが、私推薦の岩穴に決定、2人がやっと座れるくらいの狭い岩穴だった。
シャツやダウンジャケットを着込んで、ツェルトをかぶる。5時過ぎ、明るい内に何か食べておいた方がいいのでは…。「そうだね」と西さんは弁当を食べるが食欲がないとすぐにやめる。私は元々食欲はないので食べかけのパンをかじってみるが3口ほどしか食べられない。仕方なくアメを食べたり、羊羹を食べたり。そしてとっておきのウイスキーを二人でちびちび飲む。身体も暖まり、気持ちもリラックスできてなかなか良かった。
岩穴が傾斜しているので転がるといけないと、西さんは二人の身体とザックをザイルで岩に固定する。
辺りは真っ暗になっていった。遠くで風がゴーッ!!というとその5秒ほど後にバタバタバタッ!!!とツェルトを煽ってくる。それがとても規則的でおかしかった。
長い間風は強かったが、雨はときどきサーッと降る程度だった。
台風がさっさと通過して、明朝いい天気ならきっと大槍に立てる!台風が速く行ってくれれば…。と願った。足やお尻、首など窮屈で具合が悪かったが、すぐにウトウトしては目が覚めた。8時、10時…、
右足がしびれて動かなくなっていた。靴ひもをゆるめた方がいいと思いながら、そのままだった。あわててゆるめてマッサージした。エコノミー症候群になって明日ポックリいったらどうしようなんて不安になった。後で西さんに話したら、西さんは雷をとても心配したとのこと。槍の穂先にピカッときたら自分たちはおしまいだと心配していたのに、エコノミー症候群とはのんきだねと言われた。
翌朝3時頃になると、だいぶ風も納まってきた。予定通りだと思った。
だんだんと明るくなって6時、ぼちぼち行動を開始する。

ツェルトをめくるとガラガラした急斜面がはるか下まで続いている。こんな所で寝たなんて…チョットびっくり。ガスは晴れて硫黄尾根が見える。昨日行こうとしていた間違いかもしれない巻き道を行ってみる事にする。赤いペンキ印がついている。少しのアップダウンがあり、ザレ場の下りでは少し緊張する。30分くらい歩いただろうか、北鎌平の先の方(大槍側)に出る。テン場跡がある。
今来た巻き道は、北鎌平の下方・千丈沢側の巻き道で、北鎌平の一番遠くへ導く道だった。
しばらく歩くとピークは見えないが大槍の途中までは見えている。遠くに三俣蓮華や双六、鷲羽など見える。あとはそれほど難しい所はないはずだ。必ず頂上は踏めると思う。あちこちに踏み跡や、ゴミが落ちている…。ゆっくり登っていく。一歩一歩がうれしい。最後のチムニーがわからず、小槍側の岩場を直上、そこから天上沢側に巻いて行き、杭のあるところからは階段状の簡単な岩登りになる。そして祠の右斜め後ろに出る。やっと北鎌が終わった。