37 2000.11.03-04 ★★ 八ヶ岳 2,899.2M ★★
2000年11月03日(金)〜04日(土)


八ヶ岳 一人山行き
(冬山初チャレンジ! 準備山行一人旅 in 八ヶ岳:赤岳)

1.プロローグ ・・・ 人生の大きな転機 ・・・
予期せぬ事態の影響か?ひょんな事から冬山に初チャレンジする。
そんな機会が、年末に訪れようとしている。
僅か1年前の、1999年11月6日土曜日の山行きが、事の始まりであろう。
母校の先輩の紹介で、とある山の会に同行したのが、きっかけである。
元々は、山登りに興味があり、レベルアップの機会を伺っては居た。
しかし、一人でやるのは億劫な性格のため、専ら家内のお薦め山行であった。
この山の会は、キャリア40年間のリーダーを中心に、出来たばかりだった。
メンバーは、体力には自信のある方々が、集まっていた。
聞けば聞く程、私達には無理じゃないのと、心細く参加したことを思い出す。
そして裏妙義山行は、私達にとって人生の大きな転機となる山行きになった。
何せ、これから冬を迎えるに当たり、雪山に挑戦しようと言うのだから…。
私達は、裏妙義のスリル溢れる山行きに、すっかり魅せられ、酔いしれた。
そして、輝かしいキャリアのリーダーと、山の会の猛者達に引きずられるように、今年は「岩と雪の殿堂:剱岳」を目指すことになっていた。
その目標に向かって、正月早々から近場の低山に、足慣らしに出掛けたりした。
毎週1回のスポーツクラブも、体力増強のため、熱心に取り組んだりしていた。
初夏を迎え、山の会の第1回山行きが、丹沢であった。
丹沢には、山好きな先輩達から「学生時代に良く登った!」等と聞かされていた。
何時の日か自分もと、密かに思いのあった山であった。
1泊2日の山行きで、山の会の皆と楽しく貫徹できた。
次は、いよいよ剱岳だ!

2.・・・ 夢に見た山行き ・・・
毎月催される例会にも、徐々に真面目に出席するようになっていた。
そんな時、酔った勢いで「穂高&槍」への熱い思いを口にしていた。
それをリーダー夫妻は、温かく見守りながら助言してくださった。
「あなた達夫婦なら槍には行けますよ!剱の前に行ってらっしゃい!」と。
な、な、何と!頼もしいお言葉ではあるが、酔った勢いでつい口が滑ったことを…。
でも、ずっと以前から、そんな想いを知っていた家内は、すっかり勇気づけられた。
「行ってみようヨ!」と、私を励ます始末である。
そんなこんなで例年実施している「尾瀬の山行き」も6月に済ませた。
そして、7月末、念願の「槍ガ岳」を捉えた。
普段の不養生が祟り、1日目から右足付け根に鈍痛があった。
又、天気を伺いながらの予定変更は、1日目強行登頂になってしまった。
結果として、2日目は右足膝痛により、やっとの思いで下山できた。
「槍ヶ岳」は、課題の残る山行きとなり、今となっては良い教訓となっている。
10年間夢に見た槍は、やっぱり素敵だった。
幸運にも山小屋のおじさんの助言の元、強行ではあったが、成功できた。
無事に登頂し、360度の大パノラマを満喫できた。
買って直ぐのデジカメで撮った写真に、皆「良い顔してるよ!」と、言ってくれた。

3.・・・ ビッグイベントが続々 ・・・
10月を迎え、いよいよ剱である。
深夜バスでの集合にも、槍で経験済みで余裕?の準備ができた。
総勢6名の精鋭部隊は、天候が優れない中にも無事登頂を果たした。
思わぬ予定変更をものともせず、最後の夜は反省会で盛り上がった。
無事に剱を終えた後の月例会では、何時に無く沢山の顔が揃っていた。
参加できなかった人も、登頂した面々の自慢話?に、にこやかに聞き入っていた。
そんな中、リーダーの愛妻の海外山行きに、話が及びはじめた。
なんと、年末年始に「キリマンジャロ」に登る、という話が出てきた。
聞けば、海外はやらないリーダーは、一人残され、雪山にでも行く様子であった。
そして、私も残される一人になり、雪山に加わることになった。

4.・・・ 必要欠くべからざる要件! ・・・
話は、雪山に移るが今のところ詳細は、未定である。
但し、目的の山は「八ヶ岳」である。
私は、例のごとく資料の収集から始め、ガイドブックに目を通す。
確かに「八ヶ岳」は、雪山を始める初心者にはピッタリの山のようだ。
しかも、今回のようにベテランの先生と一緒に行けるのは稀なことだ。
最も理想的で、なかなか機会に恵まれないものだ。
しかし、初心者の心得として欠くべからざる要件がある。
その一つに「無雪期に一度は登っておくこと」が有った。
此には、少々困り果てた。
季節は晩秋、11月に入ってしまった。
3、000Mの山には天気次第では冬装備が必要とか…。
何はともあれ残されたチャンスは、11月3日〜5日の3日連休しかない。
「文化の日」〜の3日連休中に、何とか「無雪期登頂」を果たさなければならない。

5.・・・ 生憎の雨(11月3日、文化の日) ・・・
秋雨前線が例年になく日本列島に停滞しているようだ。
長雨が続き、待望の11月3日文化の日も朝から雨であった。
せめてもの救いは、翌日の4日は何とか天気は回復する見込みであること。
恨めしい雨を横目に、ラジオを聴きながら準備を始める。
(何故、前日に終了していないのか?)
ラジオでは、何処の高速道も、遅くまで、渋滞している様子を報じていた。
3連休を当てに、紅葉目当ての観光に、繰り出す輩で一杯だった。
目的の中央自動車道も、何時まで経っても緩和されない。
結局、慌てても性がないので、晩ご飯を食べて、夜9時に出発する。
流石に、渋滞はなくなり、スムーズに目的地の美濃戸に、深夜、無事、到着。
駐車場に車を止め、夜食にビールで一人、前祝いをする。
飲み足りないので、持ってきた酒も1杯だけ頂く。
1時を過ぎて就寝。
明日は5時から歩き始めて、出来れば日帰りしたい…。

6.・・・ またもや寝坊 ・・・
車のエンジンを止めて、シュラフとシュラフカバーを纏い就寝した。
ダウンのシュラフに、ゴアテックスのシュラフカバーである。
しかし、ここ美濃戸は標高約1,750M程、とても寒かった。
凍死する程では無いにしろ、とても熟睡できるものではない。
寒い寒いと思いながら、ふと、気がつくと6時30分であった。
「しまった!また、寝坊した!」
今日の行程は、予定では5時に出発だ。
北沢〜赤岳鉱泉〜行者小屋〜中岳と阿弥陀岳コル〜阿弥陀岳往復。
それから、赤岳を目指す。
登頂までが、5時間40分となっている。
途中に休憩等を入れると、お昼前にやっと登頂できる位である。
しかし、焦っても性がないので朝ご飯のパンを食べて、準備を始める。
冷え切った身体を、少しでも暖めておくために、車のエンジンを掛けて暖を摂る。
駐車場を管理する、赤岳山荘のおじさんが窓から覗き込んだ。
駐車料金を要求し、むしり取っていく。
「日帰りするつもり」と、言っても聞き入れられない。
必ず1泊すると決め込んで、2日分の駐車料金を取っていった。

7.・・・ いよいよスタート ・・・
予定を変更しようか悩んでいると、前を行く中高年夫妻がいた。
夫妻は、南沢から行者小屋ルートに進む。
ついつい釣られて南沢ルートに決定!
此で登頂までの時間を1時間程は、短縮できる。
先に予定していた行程は、多分雪山初挑戦時に辿ると思われるルートだった。
今回も、本来そのルートを辿ることが望ましい。
しかし、取りあえずは赤岳に、昼前に登頂したい!
その後、時間的に余裕が有れば、多少足を伸ばせばいいじゃないか!
と、心で言い訳しながら、足早に進んでゆく。
始め樹林の中を緩やかに登って行き、暫く進むと多少勾配がきつくなる。
所々で木々の間から開けた展望が見えた。
場所によっては、谷間の尾根の間に、北アルプスの槍らしき影が見えた。
槍も応援してくれている。頑張るぞ!
沢を、丸太で出来た橋で、行ったり来たり、何度も渡り返した。
通常、この南沢ルートは、2時間掛かり、途中で休憩が必要である。
しかし、そんなに疲れを感じないため、1時間を経過したが、休まなかった。
休憩に適当な場所も見当たらず、休憩せず、水分補給もせずに進んだ。
1時間を過ぎて暫くすると、展望が開けた。
白河原(しらつかわら)である。
此処からは、荒々しい横岳が姿を現し、高くなった太陽からの陽差しも受けた。
今日の上天気を占うような青空が、山容を一層険しく、浮き上がらせている。
又も樹林に入り、程なく樹林の間から赤岳も顔を出してくれた。
行者小屋も間近と見えるが、すっかり赤岳に陽差しを遮られている。
届かない陽差しは、辺りを何時までも冷やし続けている。
行者小屋に付いたのが8時頃、先ずは順調な滑り出しか?
小屋で「ラーメン出来ない?」と尋ねた。
と、「掃除が終わらないと何も出来ない」と、冷たく断られた。
それでも、水場の水を頂き、バナナやパンを頬ばり暫し休憩する。
ジッとしているだけで、ヒンヤリとして、寒さが我慢できなくなる。
近くにいた二人連れの年輩者に「上は寒いんでしょうね?」と尋ねた。
すると「尾根はね…。」との答え。
秋から冬の八ヶ岳は、尾根の強風に、気を付けなければならない。
ガイドブックにも、そんな風に書いてあったのを思い出す。
フリースを脱いで、雨具の上下を着込む。
一応ゴアテックス、長年着ているため、相当くたびれている。
家内に言わせると「お父さんぐらいね」の代物。
でも、ちゃんと暖は摂れる。
さて、此からのルートは?と思案していると、赤岳ピーク〜の日の出に遭遇した。
自分に向かって陽が差す方向に、白い筋が何本か空気中に浮かんでいた。
近くにいた中年の女性も、不思議そうに声を上げていた。
差し込んだ陽差しで、忽ち、辺りは朝の光に満たされ、ポカポカしてくる。
周りの木々も、途端に輝き始めた。

8.・・・ 温かいラーメンが食べたい ・・・
今日は、「地蔵尾根」から赤岳を、目指すことにする。
雪山ルートとは異なるが、早く頂上に立つために、そう決めた。
さっき断られた「温かいラーメン」は、地蔵尾根なら1時間少々の後に、頂ける。
赤岳天望荘で、ありつける筈だ。
雪山ルートの阿弥陀岳経由では、赤岳登頂迄の3時間後にしか、小屋は無い。

地蔵尾根は直に急傾斜となり、岩場を登り梯子や鎖場がある。
決して気を抜けないが、30分余り程の頑張りで地蔵仏のある尾根に出る。
この日は、風もなく、とても温かく、皆薄着であった。
赤岳から下りてきて横岳に縦走する人や、地蔵尾根を下る人達。
皆、汗ばんだ様子で、薄着になっている。
雨具を脱いで、近くの若者に「今日は暖かくて気持ちいいね」と、声を掛けた。
「ホントですね」と返事が返ってきて、一緒に喜び合った。
此処からの阿弥陀岳、赤岳、振り返って横岳から硫黄岳が間近に展望出来る。
全て、荒々しい山容で、暫し、見蕩れてしまう。
遠くには富士山もクッキリと見え、反対側には北アルプスも見える。
そして、何時までも槍は、応援してくれている。

9.・・・ 待ちに待ったラーメン ・・・
地蔵仏のある地蔵の頭から赤岳に向かう途中に、赤岳天望荘はある。
この分岐から直ぐの所だ。
小屋に近づくと、若い女性の小屋のスタッフが、灯油缶で水運びに懸命だった。
小屋にはいると「お疲れさま!」と、元気に声を掛けてくれた。
厨房の中の、若いお兄さんに「ラーメンとホットミルクを頂戴!」と、頼んだ。
小屋のストーブに寄り添い、待っていた。
中では、2人組の年輩のおじさんが、牛丼定食(みそ汁付き)を食べていた。
行者小屋で少し話した、若いお兄さんは、早々と宿泊の手続きをしていた。
今日は宿泊者が少ないのか、個室も利用できそうだ。
+4,000円の個室でのんびり出来る。
漸く、出来上がったホットミルクを、口に運ぶ。
温かいモノを、口にしていなかった喉と胃袋に、ねぎらいの言葉を掛ける。
そして、ラーメンを頂く。
ストーブの傍で、温かく頂きながら、窓から見える天望を満喫した。
心身共に元気を取り戻した。
登頂までは、残り僅かで、その登りを急ぐため、早速、小屋を出る。
「ご馳走様!行ってきます!」に「気を付けて!」と皆が声を掛けてくれる。

10.・・・ 赤岳 2,899.2M ・・・
天望荘から赤岳北峰迄は、30分弱の急登。
岩が脆くジグザクして登る。
浮き石に気を付けながら、気を緩めずに登る。
疲れを感じる間もなく赤岳頂上小屋に到着。
ピークに立ち周囲を見渡し、本峰の南峰に目をやる。
直ぐ脇に建つ、赤岳頂上小屋からビールを仕入れ、南峰を目指す。
南峰は、ホンの直ぐで、目と鼻の先。
祠やら何やら、いっぱいあるピークで、人が群がっている。
先人の終わるのを待って三角点の上に立ち、八方をグルッと見回す。
今日は、ホントの360度、大パノラマ。
やっぱり槍は、見守っていてくれた。感謝。
ビールで一人乾杯し、天上の展望に、酔い痴れながら小休止。
時間も早いので、阿弥陀岳まで行って、下山しよう。日帰りも充分可能だ。

11.・・・ 阿弥陀岳 2,805M ・・・
ピークを後に阿弥陀岳を目指して、コルまでの下りに掛かる。
結構急で、鎖や梯子が取り付けてある。
難儀しながら慎重に降りて行く。
間もなく、キレットとの分岐になり、ここからはザレ場が多くなる。
勾配は次第に緩くなる。
文三郎尾根の分岐からは、中岳手前のコルまで緩やかな下りになっている。
コルは、広くて公園みたいになっていて、風もなく、ポカポカと暖かい。
石のベンチで赤岳を振り返り、横岳から硫黄岳と流す。
独特の山容である。
中岳迄の登りは、15分足らず。
ユックリ登っても、程なくピークに達する。
頂上には、慰霊碑がある。
一人初老の男性が権現岳に向かい無言で居た。
中岳と阿弥陀岳コルへ向かい、下りをおりる。
中岳と阿弥陀岳コルは、行者小屋に通じるルートとの分岐にもなっている。
阿弥陀岳は、ここから往復する人が多いため、賑わっていた。
殆どの人が此処に荷物を置いて、阿弥陀岳を目指し、そして下りてくる。
此処の道は急で岩は脆く、鎖のある場所も全く気を抜けない気がした。
私は、今回のルートで、「最も気が抜けない!」と感じたが、どうだろうか?
急な登りの後の頂上は、赤岳に劣らぬ展望を見せてくれた。
楽しく登った地蔵の頭から赤岳の登り、ピークからの気を抜けない下り。
さっきまでの緊張が、目の前でなぞるように、見て摂れる。
日本アルプス全てが拡がっている。勿論富士山も望める。
赤岳から横岳、北八ヶ岳迄、一望に見渡せるのも、ここからだけなのかな?
登って良かったとつくづく思う。
気を抜けない下りを慎重に下りて、コルの分岐から行者小屋をめざす。

12.・・・ 後は下りだけ、急げ! ・・・
この道は、季節柄、終始、陽が当たらないと見え、霜が堅く凍っている。
そんな所は、うっかりしていると滑ってしまいそう。
急にヒンヤリしてくる。

行者小屋では、又も水を頂いた。
時計は、2時一寸過ぎなので、赤岳鉱泉経由で北沢を下ることにする。
4時過ぎには美濃戸まで行けるはずだ。
行者小屋から赤岳鉱泉までは、最初少しの登りがあるだけで、下り一方である。
雪山時は、逆に登り一方になる。
赤岳鉱泉では、学生が沢山居た。
今日の宿泊に備えたり、また、明日の山行に想いを馳せている様子だ。
小屋から少し下った広場からの眺望は、素晴らしい。
横岳を正面にして大同心、小同心が望まれる。
右手に赤岳も見えて好展望だ。
小休止もそこそこに、日帰りを難なく達成するため先を急ぐ。
南沢同様に、何度か沢を、渉り返しながら、下りていく。
こちらも季節柄、終始、日蔭の場所があるようで、橋に霜が残っていた。
一寸見ると、雪景色のように見えるところがあった。
沢が段々と大きくなると、やがて林道になって、山道とはお別れだ。
この季節の、山の日暮れは、早い。
展望がないのが、急ぐ足を加速させる。
漸く着いた、美濃戸山荘。
小屋の前では、沢山の人達が、群がっている。
今日の頑張りに、ねぎらいの言葉を、掛け合って居た。

13.・・・ 確かな約束 ・・・
目指す、駐車場には管理のおじさんが居た。
この人は、1日中駐車場にいるようだ。
「今日は、年に5日、有るか無いかの好天気だったよ!」と、話してくれた。
顔を見て「何とか、日帰りできました!」と、言ったら怪訝そうな顔をしていた。
「南沢〜行者小屋、地蔵尾根、赤岳に登り、阿弥陀岳も登って。」
「帰りは、赤岳鉱泉経由で、北沢を下りてきました!」と、言うと
「そりゃ凄い。若者ペースだね!」と褒めて?くれた。
駐車場を出るときに「雪のある冬に是非来てよ!」と、声を掛けてくれた。
勿論、「今年の暮れに来ますから、その時は宜しく!」と、約束して後にした。

14.・・・ 赤く燃える八ヶ岳連峰 ・・・
帰り、高速道、諏訪南IC迄の道すがら、展望の良い場所があった。
夕日に映える八ヶ岳連峰が、見渡せる台地があった。
遮る物の無い所で、真っ赤に燃えるような八ヶ岳に、車を止めて見入っていた。
心の中で「病み付きになるかな?」と思ったのは、きっと、私だけではないだろう。

15.考察
 槍ヶ岳登山の教訓
 @荷物の減量化 (多くても8s位迄)
 ・30Lのザックを購入する。 
→20Lで行きました!
 ・カメラは1台にする。バッテリー、メモリーカードを購入する。
 ・他の持ち物について再検討する。
 A行動開始前には準備体操をする。 
→しませんでした。済みません。
 B休憩時は水分、電解質、ビタミン、カロリーをこまめに摂る。
   
→ついつい先を急いで、大雑把になっていました。(反省)
 Cタクシーを相乗りするときは、料金の支払い等について必ず確認する。
  
 →今回は、タクシー利用は、有りませんでした。
 D日焼け止めクリームはむらなく塗る。 
→持っていくのも忘れていました。
 E就寝前に脚をマッサージする。 
→しませんでした。でも、大丈夫でした。

 →過去の教訓が生かされていないようです。反省いたします。