優雅に山行? 2009/10/16 雑感
長かった「蝙蝠尾根」を明るいうちに林道まで辿り着き、「何とか無事に済みそう!」と安堵した。今夜の幕営地に予定している二軒小屋。そのロッジ前にあるのテン場で、漸く寛げた。
先客のテント泊者は、テント横のテーブルで、広いテン場の中で一人、優雅にワインを味わっていた。
聞けば、昨夜は此処から蝙蝠尾根を登って蝙蝠岳の山頂でテント泊し、今夜は此処でのテント泊を楽しんでいるところだった。
我等の山行を聞かれたので、昨日は広河原から八本歯ノコル〜間ノ岳〜三峰岳と辿り、熊ノ平冬季小屋泊し、今日は仙塩尾根を辿り、蝙蝠岳〜蝙蝠尾根を下ってきたと説明した。テント設営に忙しい我等に気遣ってか、その後は声を掛けなくなった。
テント設営も終わり、テントの中で食事を終えて寛いでいると「もうお休みですか?」と、声が掛かった。咄嗟の事で返事に窮して「はぁ〜、そうですが・・・?」と、気の無い返事をしてしまった。後から考えてみると、今日の隣人となったテント泊者が、わざわざ声を掛けてくれたようだった。
前日の広河原からの山行は、未明からの降雪で思わぬ冬山山行を強いられた。途中の北岳山荘では、ストーブの前でカップ蕎麦を食べながら「計画変更したほうが良いんじゃない?」と、悩まされた。「兎に角、間ノ岳までは行ってみて、天候が酷くなるようなら農鳥小屋でテント泊をしよう!」と出発した。
山中2泊のテント泊装備は、我等の背中に重く圧し掛かり、足取りを重くしていた。間ノ岳山頂では、ガスに覆われ展望の無い中、計画変更か否か悩んだが、変更せずに三峰岳を経て熊ノ平小屋を目指す事にした。間ノ岳を過ぎても僅かな踏み跡が雪道に残り、不安な気持ちを幾らかでも和らげてくれた。「間違いなく、熊ノ平小屋まで先行者がいる!」と、勇気付けてくれた。
しかし、熊ノ平小屋では同宿となると思い込んでいた先行者は、居なかった。熊ノ平小屋は通りすがり、先の宿泊地まで行かれたようだ。
後で若いお兄さんが一人で小屋に宿を求めてきたが、どちらから来たのか、明日はどちらに行くのか聞かずにすませた。
翌朝、準備に時間が掛かり出発が30分遅れてしまった。天気は快晴だが、稜線に出ると冷たい風が身にこたえた。
仙塩尾根から蝙蝠尾根への分岐手前の急登には、重いザックと疲れで苦しめられた。思っていたよりも急で且つガレて悪場に感じた。
塩見岳と蝙蝠岳との分岐は、居心地の良さそうなテン場になっていた。水場は判らなかった。手前の急登の下部で汲み上げるのかも知れないと思った。
蝙蝠岳には、一度、塩見岳からピストンしていたが、その時よりも随分遠く険しく感じた。実際に時間も掛かり頂上について標識の「二軒小屋→6時間」を見た時は、ぐったりと疲れてしまった。「何時に着くんだろう?」と不安が募ってきて、ユックリと休む気になれないままに重い足を運ぶ事になった。
徳右衛門岳が近づくと登り勾配が厳しくなり辛かった。頂上の標識に「二軒小屋→4時間」を確認しながら先を急いだ。途中に水場の標識が頼りなくあって探してみたが見つけられなかった。
相当下ったと思われるところで得体の知れない工事現場に出た。作業者用のトロッコがあるようだったが、乗せてもらえるはずも無く先を急いだ。登山口の林道も近いかと思ったが、まだまだ遠かった。気合を入れなおして下ったが、ロープが出てきたり急なアップダウンが出てきて本当に疲れた。
無事に林道に降りた時にはホッとした。
しばらく林道を辿ったがトンネル入口から吊橋を渡って山道を辿る事になる。夕暮れの帳を気にしながら急ぎ足で進むと千枚岳への分岐を分けて再び吊橋を渡らなければならなかった。大きな堰堤上部の吊り橋で、大量の水が爆音を上げて流れ落ちていた。何となく遠回りしているようで元気が出ない。
そのまま進むと突然「二軒小屋」が目の前の丘の上に現れた。丘の上に続く登りは、肉体的に疲れたばかりでなく精神的にも負担を強いられた。草臥れた身体に充分以上に堪えた。
「もうそろそろ優雅な山行に切り替えたいなぁ〜?」と心の奥底で密かに願っている自分がいた。