ここ数年の山行について (記 初稿:2007/10/12 訂正:2007/10/26 改訂:2012/05/03)
2005年は、春にヨーロッパ・アルプス山行(Y・A計画またはY・A山行と記)を早々と計画したので、初夏から訓練山行に明け暮れ、最も充実した時期だったと思います。このY・A計画と訓練山行では、Y&H.S夫妻さんが親身になって相談に応じてくれ、更には計画までを作成してくれ、旅行そのものをご同行していただける事になりました。その内容は、我等夫妻の実力を把握した上で、必要なカリキュラムを計画してくれたものでした。6月中旬の残雪多い白馬三山の日帰りピストンコースや、残雪の多い石転び沢雪渓から北股岳を辿る日帰り周回コースでした。これらは、日帰り山行のハードなもので、とても信じられない体験となりました。そしてY.Sさん計画の最終訓練が、餓鬼岳〜唐沢岳の日帰りピストン山行で朝4:00〜夜の19:20迄の15時間以上の行動に充実感を通り越して、放心状態での下山でした。しかし、2〜3日すると心身ともに充実感に満たされて、大きな自信となり、目標を大きく持てる気がしました。7月に入りハードな山行は行なわず、高度順化を考慮した山行などを取り入れるようにしていました。それは白峰三山縦走(実際はピストン)や富士山山頂一泊山行と、最も効果の期待できる内容で取り組みました。そんな中、年明けから通っていた東北の名山にも行ってみました。西吾妻山であり、岩木山、鳥海山などの山行でした。
8月下旬出発したY・A山行が成功裏のうちに終了し、9月上旬無事帰国しました。その時、早くも「翌年には再度Y・A山行を再訪したい!」と夢見ながら、国内での山々を充実した山行にしたいと考えていました。その後、疲れも残っていると思って、初めのうちは近場に足を運びました。だんだんと物足らなくなってきて、この年の春先、やり残していた東北の山に出掛けて行きました。それらは蔵王山、岩手山の山行で、思い出深い山行記録を残すことが出来て、とても満足できました。冬の季節の到来とともに、東北方面の山行は断念して、八ヶ岳や近場の少しハードなコースを選んで挑戦しました。八ヶ岳では11月中旬に権現岳・編笠山の日帰り周回、赤岳真教寺尾根(登り)・県界尾根(下山)の日帰り周回、1月に硫黄岳・天狗岳、2月に蓼科山、阿弥陀岳北稜等。他には、12月の富士山一泊耐寒訓練、甲武信岳を目指し時間切れの木賊山等と積極的に取り組んでいました。
ところが2006年の年明けは、近年にない大雪に見舞われ、天候も不順となり春先以降の山行は、計画倒れが続いていました。この年もY・A山行を早々と計画して準備を進めようと考えていました。
心身ともに積極的に取り組めていたこの頃、我等夫婦にとっては、充実した山行に満足していました。しかし、家族の事を考えると、「行ける時に行っておかないとね。家族に何かあったら、諸事に明け暮れる事になるね。山行も、計画変更しなくちゃね・・・」と、二人で時々話していました。そして、3月27日にその日が訪れてしまいました。それからは、諸事に明け暮れる日々が続き、計画していた全ての山行予定を白紙にしました。いつになるか分かりませんが、その時に新たな頁に計画しなおす事になりました。それから一年間は、時につけ諸事が催され、その対応に追われました。そんな中、その合間に少しでも気分転換も兼ねて、何とか心ばかりの山行が出来ないかと心配りしていました。しかし、異常気象なども重なり、中々思うようにはならず、仕方ないこととめげずに前向きに考えるようにしていました。
漸く、お盆を過ぎてから、ユックリ出来るようになり、思い切って北海道に出掛ける山行計画をしてみました。
9/15(金)夜22:00に自宅を出発して、23(土)夜帰宅予定の延べ9日間の長期山行計画でした。一応、24日(日)を予備日として計画しました。この北海道山行は、大雪山を中心に山中一泊(自炊、素泊まり)で、充実した山行から始まりました。その下山後に、台風が上陸して停滞日となりました。この時、予定していた大雪山の南に位置する十勝岳又は夕張岳等は、中止する事になり、とても残念でした。優先度を高くしていたトムラウシ山の近くに移動しながら天気を伺うことにしました。少し天気が持ち直し、低山の剣山、百名山の一角のトムラウシ山と辿りました。この二つの山も想い出深い山行として記録に残す事が出来ました。天候が不安定で羊蹄山に向かいましたが、登山は諦めて観光しました。残り日数も少なくなったので函館に向かい、お土産などを買って帰路のフェリーに予定通り乗り込みました。9日間の山行は、決して計画通りには進みませんでしたが、満足できました。北海道の雄大な自然に触れる山行は、新たな目標となり、その後の山行にも大きな影響を残しました。
帰ってきてから山行記録を整理していると、百名山やBEST100も残り少なくなっている事に気付き、何とか優先しながら一つ一つ登れないかと思うようになりました(この時点で68座に登頂)。10月に入り光岳・聖岳を計画・実行し、百名山を2座登頂を果たし、また、BEST100のうち21座ある3,000M超えの最後の聖岳を登頂でき、大満足できました。更に弾みがついて、皇海山・鋸山・庚申山、11月に入り越後(魚沼)駒ヶ岳・平ヶ岳にも登頂を果たし、ますます弾みがついていきました。でも、すこし無理を承知で強硬な計画が気になっていました(73座に登頂し、残27座に)。
平ヶ岳登頂の後は、天候不順が続き、仕事も忙しく、山行に行けない時を過ごしていましたが、年末年始は思い切って四国方面に遠出しました。南国とはいえ冬の山、最初の剣山山頂では、重い雪と強風に苦しめられました。無理をせずに下山して、次の山、石鎚山を目指しました。石鎚山は、山容に特徴があり、険しい鎖場が登りとなります。夏であれば問題ないのですが、雪の付いた鎖場は、プレッシャーがあり緊張させられました。ヒヤッとする事も有りましたが、何とか無事に登頂し下山でき、充実した山行になりました。石鎚山山頂から望んだ笹ヶ峰が印象に残り、翌日登りました。天候が悪化する中で山頂を目指し、苦しめられましたが、無事登頂できホッとしました。
四国からの帰りに伊吹山の雪景色を見て、登頂意欲を掻き立てられました。その後、恵那山、草津白根山と雪山での登頂を果たし、伊吹山に向かいました。前年の大雪とは裏腹に、この年は暖冬で雪も極端に少ない年でした。登山口上部のスキー場も雪不足で一部営業しか出来ず大変そうでした。登山も拍子抜けするような雪山山行となり、楽が出来てラッキーなのか、物足りなくてアンラッキーなのか、苦笑いする面持ちでした。翌日出かけた荒島岳も登山口付近こそ雪は少ないものでしたが、登るにつれてラッセルを強いられ、トレースはあるにはありましたが、入山者が少ないために難儀させられました。山頂での展望が好天気の中で、360度のパノラマだったのが思い出深いものにしてくれました。ここで、79座に登頂した事になり、百名山への達成意欲を、可なり掻き立てられました。
ところが、この後は、中々捗りませんでした。と、言うのも天候不順もさることながら、家族が思いがけない状況になり、夫婦でのんびり山行三昧に明け暮れる事が憚られたからです。暫くは出掛けられず、少し落ち着いてから、遠出を避けて日帰りできるところに出掛ける様にしました。そして、出来るだけ二百名山やBEST100の山行を、取り組むようにしていました。
決して百名山だけに拘るわけではありませんが、この様に残りが少なくなってくると、他の山より優先して計画したいという気持ちが強いのが本音です。
そして、九州・中国・紀伊半島や北海道・東北と、遠いところが残っているので尚更です。チャンスがあれば何はともあれ出掛けたいと思ってしまいます。
【追伸】
そんな中、今考えている計画は、以下の通りです。
北海道:幌尻岳・羊蹄山・・・夏場でないと無理でしょうね。5月のGWの可能性は如何に?
信越:雨飾山・高妻山・・・・・・〜2007/08迄に登頂したい。
最後は、霧ガ峰にしてユックリと達成の余韻にドップリ浸かり、ささやかな祝杯を挙げたいと考えています。